「おまえのクルマの値段なんか、知るか!」
またしても年寄りのむかし話です。
バブル景気のなか(「バブル景気」と言うのは後から付いた呼称だったと思う。ただ世の中はとても豪気な事柄があふれていたと記憶している。例えば、わたしの住んでいる東京郊外の各駅停車駅の間口3間の蕎麦屋の土地に一億円の値がついたとか、そんな話しは聞いていた)
一方でわたしは円高不況の中でやっと就職した会社は安月給(今、振り返れば最賃法違反だったんじゃないか…)で生活はまったく余裕がなかった。
で、そんな中の夏休みの出来事。
お金が無いから旅行もいけない、買い物に街に出るわけにも行かない。でも家に居ても暑いだけだし、夏休み気分は味わえない。
そこで、小学生のころにやっていたサイクリングに行こうと思い立った。自転車だったらどこまで走ってもただ。腹が減ったらどこかで菓子パンでも買えばいい。ちょっとした旅行気分も味わえるはず。
炎天下の中をママチャリで走る。髪はボーボー、無精髭のわたしが自転車をこぐ。それはいま思い返すとうっとおしい光景だった(いまでこそ、うすらヒゲはファッションになっているが、今から30年前のうすらヒゲは明らかにだらしないダメ人間の風体だった)。
出発してから15キロくらいのところ、黒いロールスロイスが走っている。考えてみれば実物のロールスロイスは初めて見たかも知れない。
東京の中心部であればまだしも、田舎といっていい、歩道もない片側一車線の狭い道をロールスロイスが走っているのはちょっとおかしく思えた。
信号で停止しているロールスロイスに追いついた。道端の雑草から湿った熱気が上がってくる。
ピカピカの黒い車体のロールスロイスは小山のように車高が高く威圧感があった。それはいかにも暑苦しく、灼熱と化した黒いボディとラジエーターファンの音が強い印象を残した。短パンTシャツの自分の身体が触れたらやけどしそうな気がした。
どんな人が運転してんのかな? 濃いスモークガラスで室内は見えない。フロントウィンドウから入った真夏の日差しが人の手を白く浮かび上がらせているのが見える。
ラジエーターグリルの上にフライングレディがない、もしかしたらロールスロイスじゃなくベントレーかなと思った。
ロールスロイスは青信号になり走り去ったが、先の信号は赤に変わりそうに思えた。
もう一回、間近で見たいと思ってママチャリをこいで行くと、案の定、信号は赤になりロールスロイスに追いついた。
どおやらベントレーらしい。左ハンドルなのがわかった。
信号が青に変わりベントレーは左折して消えた。と、また赤信号で止まったではないか。
「また赤信号につかまったか、ベントレー」、
と思いつつ、うしろから近づいていくと、ベントレーの左側ウィンドウがスルスルと下りて、中からゴミが捨てられた。それもまるで路肩に投げつけるようにビュンと飛び出してきた。ビニール袋の中に果物の皮かなにかが入っているように見えた。
きれいな車内にゴミを置いておきたくない、と思ったのか、信号のたびに横に並んでくる浮浪者風情の自転車がいまいましくて、その進路にゴミを投げつけたのか。
かつてカーグラフィック誌に連載されていた細江勲夫氏の「自動車望見 ミラノ通信」で、細江氏がフィアットのウィンドウから投げ捨てられたタバコの吸い殻を拾い上げ、ドライバーに「落とし物ですよ」と返した、というくだりがあったのを思い出した。(たしかそんな内容だったと思う)。
わたしは路肩に投げつけられたゴミを拾った。自転車にまたがったまま拾ったから、みっともなく自転車ごとよろめいた。
必ずしも、ベントレーのドライバーにゴミを返そうと声をかけるつもりはなかった。第一、ベントレーの濃いスモークウィンドはすでに閉じられている。
ただ、この目の前に、もしかしたら私を意識して捨てられたかもしれないゴミを拾わずにいられなかったのだ。
と、ベントレーは猛然と発進した。もしかしたらわたしの行動に何かを感じたのかも知れない。
ゴミをママチャリの前かごに入れて追いかける。この先にも信号が見えている。青信号だが、もしかしたら赤に変わるかも知れない。
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