フェラーリのブログ

フェラーリに関わった顛末

「あれこれ思うこと4」

ついこのあいだ通勤途中、後ろから異常に車間を詰めてくる黒いアルファード(ベルファイアだったか)があった。

信号で止まると数十センチまで近づいてくる。こちらが発進するとぴったり2、3メートルに付いてくる。

「黒いアルファードか、いかにもありそうな…」、と思う。

朝の通勤時間帯だから交通量は多い。よほど急がなければならない事情があるのか、それともわたしの運転に苛立っているのか。

わたしはそれほどスピードをだす方ではないが、かといって遅いわけではない。それにいまわたしの前にもずっとクルマが連なって走っているから、わたしの速度うんぬんではないはずだ。アルファードのドライバーの気持ちをうかがい知ることはできない。

東名高速道路のあおり運転事故で懲役18年の判決が出た。この運転手は過去にもあおり運転と言いがかり行為を行なっていたと報道されている。この事故以降、あおり運転がテレビで報じられるようになった。

あおり運転はむかしからある。営業車に乗っている時もちょくちょく遭遇した。

逆に、「遅いなぁ早くどけよ」、とばかりに車間距離を詰め道を譲るような運転をしたことも、実を言えばある。

人はそれぞれ事情を抱えて運転している。気楽なあてのないドライブをする人もいれば、病院に急いでいる人もいる。約束を守ろうと必死な人もいる。人は時としてスピード違反で捕まる覚悟、他人を押しのけてでも先を急がねばならない時がある。だから後ろから早いスピードできたクルマがあった時、「俺は制限速度を守っているんだ」、とばかりに悠々と走らず、道を譲ってやれ」と思う(もちろん2車線以上の道のはなしだ)。

アルファードはしばらく私の後ろでジリジリと苛立って走っていたが、やがてマクドナルドのドライブスルーに突進して行った。

 

場面は変わって二、三ヶ月前のこと。

片側二車線の国道の中央車線を走っていた。路地から車が出てきた。その出てき方が唐突であった。わたしの走っている中央車線に侵入してくることはなく左の車線に入ってきた。でも、もしかしたら中央車線に入ってくるかも知れないという気がして怖かった。入ってこなくても回転したフロントバンパーの端がわたしの進路をかすめるかもしれない、と思った。こうした場面の怖さは多くのドライバーが経験しているのではないか。

クルマ同士、ほんのすこしの間合いや動きが気に食わなかったり、恐怖を覚えたりする。「この野郎、危ねえなぁ」、瞬間瞬間のドライバーの感情はこうした微妙な端境で発生する。

車を走らせる、というのは人に本質的に危険を感じさせていると思う。

車は人間の肉体では出せない速度で大きく重いものを動かす。車は技術の進歩に従いそれを容易に、そして恐ろしげなく実現させることを可能にしてきた。

しかし上のようなシチエーションで、ひそんでいた危険を唐突に実感させる。その実感が驚きと怒りをよぶ。

人がくるまに乗ることでどんな衝動をおこすのか、ユーチューブに散らばっている動画を見るとよくわかる。

人は車に乗ることで自尊心や闘争心、恐怖などさまざまなものを発出させ、それらを堪能している。

テレビではくだんのドライバーを異常者のように指弾しているが、人を道徳的に諭すのは実は簡単なことだ。

人は車に乗ることで便利以外の感情を満足させている。そうでなければこれほど多くの自動車会社と様々な車種の車が並立するはずはない、と思っている。