フェラーリのブログ

フェラーリに関わった顛末

「Ferrari マガジンが届いた その3 ブランド商法」

フェラーリマガジンの最終ページはフェラーリ・ワールド・アブダビ・テーマパークの広告だった。

いまフェラーリはブランド商売を積極的に行っている。キーホルダーやTシャツなんてもんじゃない。子供服、おもちゃ、自転車、香水、腕時計、携帯電話、眼鏡、いろいろなものをフェラーリにしている。これらは別にフェラーリの工場で作っているわけではない。たんなるバッチを付けただけ。フェラーリのHPにも、「フェラーリブランドの開発、および保護活動、ライセンス契約、うんぬん」と書いてある。まさに「ブランド商法やってます」と言ってるのだ。

フェラーリのバッチを付けたグッズ販売はぼろい儲けだろう。フェラーリのバッチをつけただけで単なる服が10倍の値段で売れる。生産にフェラーリは関わらず外部企業まかせ。フェラーリはデザインチェックするだけだ。アフターケアなどしなくてよい。売りっぱなしである。リコールを想定している自動車ビジネスから見れば、まったくリスクのないチャラい商売で、しかも粗利はでかいのだ。やらない手はない。

 

この数十年。ブランド商法はとどまるところを知らない。

歴史があるブランド、というかそれ自体、品質や技術は素晴らしいが規模はごく小さな工場だったりする企業を、LVMHやリシュモンのような企業が買収して、広告とデザインでその製品の「ブランドイメージ」を押し上げて、従来よりよほど高い掛け率で世界中に販売する。

わたしもそうした商品を買わないことはない。技術も品質も良い工場がブランド商法によって収益性を上げて繁栄するのはよいことだ。ものを作るビジネスが繁栄するのは国の競争力を上げることにもなる。

でも、ブランド商法の嫌な面もある。

万年筆のモンブランはリシュモンに買収された。いまや万年筆だけでなくカバン、革小物、腕時計、カフス、ブレスレット、香水まで揃えている。万年筆もバリエーションが増えた。

でもモンブランは万年筆のメーカー。カバンや腕時計、香水はまったく違う企業で作られているのはすぐわかる。どこにモンブランのマークを付ける意味があるのだろう。

モンブランの根本の万年筆も華美なデザインというかこけおどしのデザインが増えた。一方でペン先の品質は低下した。価格も以前よりずいぶん高くなった。同じ型番にも関わらず、だ。

万年筆ファンはすでにモンブランの万年筆を冷めた目で見ている。

モンブランと同様、ブランド企業数社が歴史ある万年筆メーカーを積極的に買収した時期があった。その中である万年筆メーカーが買収され、以前と違う新しいラインナップの万年筆を売り出した。しかし、思うほど収益が上がらなかったのか数年してブランド企業が手を引いてしまった。その万年筆メーカーは今も存在して、その奇異なラインナップもカタログに乗り続けている。

ブランド商法のいやな面だ。

 

ブランド商法はマーケティングやデザイン、広告が主で、技術や品質は製造工場に依存する。

ファッションやクツやカバンならそれもよし。でもクルマは違うと思う。クルマは技術の塊。そこに飾る部分は存在しない。その技術の塊がレースの結果に結びついたり、市販車の性能に結びついたりする。それがフェラーリの評価になる。

そんなのはフェラーリ自身が一番良く知っていることだろう。

でも時代は、フェラーリにそういう商売をさせている。

まぁ、ブガッティなんてまったく途絶したメーカーのブランドをお金で買ってきた連中よりよほどましだと思うが。