フェラーリのブログ

フェラーリに関わった顛末

「なんでフェラーリを買うのかって?」

なぜ、フェラーリを買うのか、その理由を書こうと思う。

若いときのように体力もなく、身体も固くなって、俊敏さもなくなってきた。

そうならないように若い時から鍛えてきたつもりなのだが、最近は衰えを感じない訳にはいかない。それと体力とともに反射神経もすこし遅くなっているように思う。数年前にくらべるとコンマ何秒かの反射神経は遅くなった。

フェラーリを買うのを数年後に先送りしたら体力や気力はかなり衰えているだろう。

だとすれば、高出力のスポーツカーに乗れるのはあと数年だと思う。

そうしたクルマとの関わりを終える時期が近づいてきたと思うのだ。

わたしは必ずしも高出力のスポーツカーだけが好きということはない。ゆら〜りと深くロールするクルマも好きだ。ゆら〜りの中の変化と時間を観察するのはおもしろい。

でもその楽しみは歳をとってからも味わえると思う。だから優先度から言えば高出力のスポーツカーが先だ。

 

わたしはクルマ以外にあまり興味がない。服にも腕時計にも興味がない。くつもかばんもそうだ。ほとんども持ち物に興味が無い。

いや、それらにまったく興味がないわけではなかった。買ったこともある。しかしすぐに、お金を使うにはもったいない物だと思った。

良い服は悪くない。良い生地はやはり見ていてわかるし、フルオーダーで採寸して作ると着心地が全然違う。なにより疲れない。サイズの合わない服は身体を疲労させる。これは実感している。

いまでもちゃんとした服を着る、ひんぱんに着なければならない状況が訪れるなら、生地にこだわりフルオーダーで作るだろう。しかし今の生活でそうした服は必要ない。

くつもいろいろ揃えた、作ったこともある。でも今は紳士靴を履くことがほとんどない。

 

クルマはおもしろいと思う。人間は道具を使う。機械を操る。人は道具を使う楽しさを知っている。機械を操作するおもしろさを知っている。

わたしは学生の時と社会に出てしばらくの間、機械を操作する仕事をしていた。工作機械で金属を加工する仕事をしていた。

工作機械も金属もおもしろい。工作機械の音とブレ、刃先と材料の間で起きている変化を目で見て、さらに音と振動とにおいから何が起きているのかを感じ、このあとどうなるのか想像する。

自分で感じられる様々な感覚と想像力を働かせて機械を操作して図面通りの部品を作る。よりはやくきれいに安定して加工するため技術と感覚をみがくのはおもしろい。

 

「いい歳してクルマにこだわったりして馬鹿じゃないの?」、

おっしゃるとおりです。その指摘は当たってます。

でもクルマ(機械と言ってもいい)に乗り込んで運転する(操作する)のは大変なおもしろさを味わえる。クルマは人が中に乗り込む、機械の中に入ってしまう。機械で起こる(発生する)ことが身体で感じて理解できる。

感じて理解できればおもしろい。

「クルマの何がおもしろい?」、

という人は機械に対する感受性が働かないのだ。

何回やっても刃物を折る実習生がいた。何回やっても材料をちぎってしまう実習生がいた。視覚以外の五感が弱く、そして想像力が働かない。教えても機械操作は上手くならない。

その生徒は機械操作も機械加工も好きにならなかった。おもしろいとも思わなかっただろう。

おそらく、「機械工作はおもしろい?」

と、聞いても、

「おもしろくもなんともない」、

そう答えただろう。

 

「クルマはイイよね。たのしい」

そうです。クルマはイイ。たのしい。

「でも、フェラーリじゃなくてもいいでしょ」

うん、たしかにそうです。

「フェラーリ以外でもいいクルマたくさんあるし…」

そうですよね。当たってます。

 

フェラーリを注文したけれど、よかったのかいまだに自信はないのだ。