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フェラーリのブログ

フェラーリに関わった顛末

「徳大寺有恒氏の間違いだらけの自動車選び」

旧聞だが2014年11月徳大寺有恒氏が亡くなった。

私が「間違いだらけの自動車選び」を初めて読んだのは小学校5年か6年だったと思う。

わたしにとって、自動車に関する本と言えばモーターファンやモーターマガジンといった自動車雑誌か自動車技術本、そうでなければ子供向け自動車図鑑のようなものばかりだったから、「間違いだらけ〜」は珍しい本だった。

自宅近くの書店で立ち読みをした時の衝撃は忘れられない。

表紙は漫画のようなクルマの絵が描かれていて自動車少年にはおおよそウケない表紙の本だったが何ページかめくって即購入した。

カラー写真など一枚もない、取り上げているクルマもポルシェ911くらい。スーパーカー少年にままったくもの足らない地味なクルマばかりだった。

しかし中身はとても新鮮だった。乗り心地の善し悪し、ハンドリングの善し悪し、居住性の善し悪しなど細かな自動車評価が書かれていたのだ。

それまでの私は、きれいに撮影されたカラー写真と何馬力で最高速度は何キロを覚えるだけのスーパーカー少年だった。

いわゆるスペック丸暗記と格好の善し悪しだけがすべてだった。

「クルマって乗り比べると違うんだ。馬力とスピードだけじゃないんだ」

当たり前のことだが、小学生のわたしには衝撃だった。

何度も何度も繰り返し読んだ。町でクルマを見かければそのクルマの「間違いだらけ」の評価内容がすぐ頭に浮かぶくらいまで読み込んだ。

間違いだらけ〜は毎年買って読んだ。

運転できない少年が街を行くクルマの車種ごとに、「あのクルマのどこそこは駄目だ」、とか受け売りで喋っていたのだから周囲は変な少年だと思っただろう。

 

徳大寺氏の活動は日本の自動車評論にとても大きな影響を与えたと思う。氏の活動の期間、日本の自動車は進歩改善し欧米車に追いついた。氏の活動の期間はまさにそれをつぶさに観察する事だっただろう。

徳大寺氏は「間違いだらけの自動車選び」出版の初期に自動車メーカーとの確執があったと打ち明けている。

マークⅡとチェイサーは単なるバッチセールスだ、と指摘したらトヨタ自動車の人間がたずねてきて両車で異なる部品のリストを示してバッチセールスにあらず、訂正してもらいたい、と言ってきたと言う。

今、トヨタ自動車が聞いたら赤面するだろう。

辛辣な評論は自動車メーカーにとって嫌なものだ。

大金をかけて開発してやっと販売店に並べて、さぁ売ろう、と思ったとたんに、

「このクルマのここがおかしい」と言われたらいい迷惑だ。メーカーの立場になればわからなくもない。

 

最近は自動車評論をあまり気にしていない。ほとんどの評論家が悪い批評はしないからだ。

一部の評論家は自動車メーカーからお金をもらって、「◯◯のある生活」みたいな宣伝をしている。

もはや評論家とかジャーナリストではなく自動車タレントだ。

そもそも、多くのクルマ購入者は自動車評論など読む必要を感じていないのではないだろうか。

「間違いだらけのくるま選び」を取り巻く環境も変わってきたのだと思う。