フェラーリのブログ

フェラーリに関わった顛末

「営業車というもの」

引き続き営業車の話し。

営業車はその車種のなかで排気量の小さな物があてがわれる。価格が安いからだ。むかしのカローラは1500ccと1300ccがラインナップされていた(たしかスポーツタイプで1600ccもあったと思う。スポーツタイプといってもAE86、当時はAE86なんて言わずレビン、トレノと呼んでた、ではなく、セダンでもスポーツタイプがあったのだ)。営業車は当然1300ccになる。ブルーバードなら2000ccと1800ccと1600ccで営業車は1600cc。エンジンが小さいとサスペンションもスタビライザーなしとか、ひどく簡素化される。

自動車雑誌にインプレッションされているのは最高級グレードのオプション付き。自動車メーカーは高いグレードで単価を上げた商売をしたいのだからインプレッションに貸し出すのがそうしたクルマになるのは当たり前だろう。

営業車のスタンダードグレードは最高級グレードのクルマとは別の代物だ。サスペンションもタイヤもブヨブヨ、グラグラ。内装も硬いプラスチックでフロアマットはゴム製。 夢も希望もないクルマが多い。

ちょっと思い出した事がある。その安物タイヤ、営業車の低馬力で高速道路ばかり走っているとほとんど摩耗しなかった。サイドウォールの柔らかい腰砕けタイヤは長持ちだけが取り柄。高速道路ばかり走っていると4万キロ走っても5分山以上残っているのだ。高速道路は緩やかな加速とブレーキ、ハンドル操作はそれこそインターチェンジのカーブだけなのだ。…でその安物タイヤ、ローテーションをすれば6万キロ走ってもまだ溝が残っていた。

話し戻して廉価の営業車、あてがわれる営業マンもクルマの性能に期待はしていない。ただ、10万キロ15万キロ走ってヤレた自分の営業車が新車に切り替わるのはうれしい。そして廉価車とはいえ新型車の進歩を実感する。

当時(だいたい25年くらい前)のトヨタと日産は出来が違った。シャーシは日産の方が良かった。よく同僚で言った、

「トヨタは座布団5枚。日産は座布団1枚」

日産は重心が低くてロールが少ない。トヨタは重心が高くてぐらりとロールする。シートの高さもトヨタは高い。大雑把に言えば日産はシートに座ってペダルを前に踏込む感じ。トヨタは食堂の椅子に座ってペダルを床に踏みつける感じ。

内装の質感も実は日産の方がよかった。トヨタの内装のプラスチックはひどく安っぽくて妙な光沢がある。日産の方がツヤが落ち着いていて手でさわった感じもサラッとして心地よかった。 総じて日産の方が評価が高く、トヨタは壊れにくいとかディーラーが親切とか、そんな評価だったと思う。現在はそんな評価も過去のことになった。

 

営業車のフロントウィンド越しに季節が移り変っていく。

凍りつくような冬の夜明け前、営業車に乗り込む。ハンドルもシートも凍ったように冷たい。エンジンをかけてから事務所にもどり湯沸かし器でぬるま湯をバケツにためる。そうこうしているうちにデフォッガーに温風が回り始める。ちょうどそこにぬるま湯をかければ霜はきれいに消え、ふたたび凍ることはなかった。

そういえば都心の大雪の時、踏み切りで立ち往生したことがある。不思議なほど冷静で踏み切りの中の波状の起伏を利用して後退することに成功した。

炎天下の渋滞でオーバーヒートしたこともある。得意先に遅れるわけにはいかない。とっさに思いついてエアコンのコンプレッサーを切り、ヒーターを熱風に切り替え最大風量で回した。車内はうだるような暑さになったが水温をみるみる下がっていった。

夜の高速道路で濃霧に遭遇して立ち往生したこともあった。それこそ10メートル先も見えない。危険と判断してハザードを点けて路肩に停まった。同じように前後に停車したクルマがあった。 今は頻繁に道路公団が巡回しているし、気象情報もきめ細かい。いまだったら規制が出される状態だと思うが、当時はまだ大雑把だったのだ。

桜の季節はわざと遠回りして桜並木の下を通って取引先に行った。クルマから眺められる桜の綺麗な場所をいくつか覚えていて、あの得意先に行くなら途中の◯◯通りの桜、そうでなければ◯◯岸の桜、だいたい行く方面ごとに桜の見られる場所が頭に入っている。毎日桜を見ている余裕はないが、桜はだいたい二週間は咲く。その二週間のうち二日くらいは余裕のある時間ができる。ほんの5分か10分、桜をながめるだけでも気持ちが晴れた。