「F12と1969年」
わたしの生まれたところは周囲に水田の広がるのどかな場所だった。
けしてへき地ではなく1時間も電車に乗れば都内に出られる場所だった。 その地をはなれてからすでに40年以上たっているが10年に一度くらい思い出したように行く。
今住んでいる所からクルマで1時間半程の距離だから予定を立てるでもなく気が向いた時に行ける。当地に知己はなく訪ねる誰かはいない。かつての森や田畑、町並みを確かめに行くだけだ。
まだF12のオドメーターは800kmを超えたところ。なるべくアイドリングから5000rpmまでを上下させながら慣らしたいと考えて勝手知ったる道ばかり走ってきた。知らない道路を走っていると気を使うから慣らし運転に集中できない。
ここまで入念にエンジンとギアボックスは慣らせたと思う。 しかし見慣れた場所ばかり走っていてもつまらない。往復しても1000kmにはならないと思うがすこし遠出をして気分を変えようと思う。
F12の感触は400kmを超えて以降、あまり変化はない。
初期の硬さはとれたが絶対的に乗り心地は硬く乗用車の視点で言えば快適性は低い。
カーグラフィック2012年10月号、F12のインプレッションではこんな風に書いてある。
「街中で見せる猫のような身のこなし」、
「どんな高級サルーンでも体験したことがない」、
ほんとにそう感じたのだろうか。
印象は人それぞれだろうが、わたしはF12をそんな風に感じられない。
近頃、自動車評論家なる人達は評判がよくないらしい。ネットでは、
「アゴ足付きで海外に連れて行ってもらって試乗したら、(試乗したクルマを)悪く書ける筈ないだろ」、
などと投稿されている。
試乗を自動車メーカーが無償貸与するクルマで行い、さらにその試乗場所への旅費交通費までも自動車メーカーに出してもらっているならば、そうそうあしざまに批判できないだろう。(わたしが仮にその立場だったら書けないと思う)
ある自動車ジャーナリストは、
「自動車ジャーナリストは正義に味方ではない」、
と言っている。たしかにそうかも知れない。
さて、自分で4000万円也を支払ってF12に乗った偽らざる印象を書く。
「街中を走るF12はゴトゴト、グキグキ。アスファルトに爪を引っ掛けながら歩くブルドックのようであり、快適性はカローラにも劣る」、
以上。
生まれ故郷を目指して混雑する国道をストップ&ゴーを繰り返しながら進む。
長時間これを繰り返しているとアイドリング時の車室のこもり音が不快に思えてくる。やっぱり快適性はカローラにも劣る。(しつこいなぁ)
水温は上がらない。渋滞に巻き込まれても95℃くらい。あまり水温をチェックしないが高回転を保った後低速走行すると100℃をすこし超える。 これから真夏を迎え、5000rpmの上限を解放したらどうなるのだろうか。
渋滞といえばこの国道も40年前はまだ拡幅工事の真っ最中だった。
夏にこの拡幅工事の渋滞に巻き込まれてエアコンのない車で窓を全開にしてウチワをつかっていたのを思い出した。 当時、エアコンを装備しないクルマが大半で夏は窓を開けて走るのが普通だった。排気ガス規制も適合前の車両が混じっていて、軽自動車は2ストが普通。トラックだってもちろん真っ黒な排気ガスが普通だった。こんなクルマたちがひしめく渋滞の中、窓を全開にしていた。いま考えれば、凄まじい光景だが、当時はこれが普通だった。知らぬは仏とはよく言ったものだ。そう言えば、子供が同乗するクルマのなかでタバコを吸う親も多かった。
エアコンが効いて4輪独立懸架(古い言い方。当時はリーフスプリングのリジットサスが普通だった)のF12が不快、なんて罰当たりもいいところだ。
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