フェラーリのブログ

フェラーリに関わった顛末

「F12と泥の道」

前回のつづき。

渋滞を繰り返した国道をやっとそれて森を抜け橋を渡るうちに道幅は狭くなる。

ある私立大学が大きな総合運動場を作るといわれた森と雑草地は結局手つかずのまま放置されている。

国鉄(JRのことです)の踏み切りを渡る。いまは舗装されて歩道も整備されファミレスや紳士服屋がならんでいるが、かつては道の両側にスレート葺きの工場が立ち並ぶ所だった。

当時、この道は舗装されていなかった。

クルマで踏みしめられて固くなった泥の道に無数の凹みがついている。

固く踏み固められた土は雨が降ってもしみ込まず水たまりができる。エンジンから漏れたオイルが水たまりに虹色に光っていた。バシャバシャとクルマがはねを上げながら走ってくる。

当時は雨が降れば大人も子供もゴム長靴があたりまえだった。雨が降ると傘とゴム長靴を持って駅に迎えにいったものだ。

駄菓子屋で買ったかんしゃく玉をこの道にまいて、クルマが走ってくるのを電柱の影から見ていた。怒る運転手も居たが別にタイヤがパンクするわけではない。

かつての運送屋のトラックの駐車場は100円パーキングになっていた。

エンジンオイルをそのまま捨てていたドブは下水管になったのか見当たらない。

 

F12を100円パーキングに駐車する。

F12は極端に地上高が低いという印象はない。もちろん歩道の乗り上げは気をつけなければならないが、これまでの経験から言えば大抵の車止めはリアタイヤがあたる。

ただ止める場所がリアタイヤ側に傾いている場合、フロントのリフトアップを行っている場合はリアデュヒューザーが当る。

この100円パーキングは前傾した場所があったのでそこに停めた。

人通りは少なくF12に気付く人はほとんどいない。

しばらくあたりを歩いた。

子供の頃は広く見えた道幅が今見るととても狭い。当時、夕方になると荷台に野菜や乾物を積んだ移動販売の小型トラックが停まる。

記憶にはないがこの道幅では自動車は行き交えなかったのかもしれない。

もっともこの先、数百メートルも行かずにこの道は行き止まりになる。道を入っていくクルマは住民のものしかない。

そう、そういえばこの奥でクルマを持っていた家は3軒だけだった。

子供の時、よろめきながらたどったあぜ道はまぶしいくらい白いコンクリート舗装の農道になった。

かつてこの水田の先の林の端にあばら屋あり、戦争で夫と息子を亡くしたおばあさんが住んでいた。入り口の土間に小さな石の流し台があり裸電球がぶら下がり、土間から上がると6畳くらいの部屋と押し入れがあるだけに家だった。

母と仲がよく、買い物帰り母が立ち話をする。手持ち無沙汰なわたしはそのあばら屋の横の柿の木に登って時間をつぶす。

「柿の木は折れやすいから気をつけな」、

母とおばあさんが声をそろえて言う。

 

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