「クルマにひそむ狂気について 偶然の確率」
前回のつづき。
事故はほんの数秒間の巡り合わせで起きる。クルマと歩行者、クルマとクルマ。その数秒間の巡り合わせで事故になり、また事故にならない。
朝、横断歩道で一時停止し小学生が渡るのを待った。小学生はわたしのクルマの前、左側から右へ渡っていく。
わたしのクルマの後方からスクーターがやってきた。スクーターも小学生を認めたのだろう、減速しながらわたしのクルマに近づいてくる。
…と、スクーターのライトがルームミラーから左のドアミラーに移動した。小学生4人はすでに横断歩道の中央まで渡っている。スクーターはわたしのクルマの左脇を通れば一時停止する必要がないと判断したのだ。
ところが小学生が持っていた画板が風にあおられて開いてしまった。画板にはさまれていた画用紙数枚が道にちらばった。小学生は散らばった画用紙を求めて横断歩道を引き返してしまう。
スクーターにとっては予想外だ。通り過ぎたと思った小学生が戻ってきた、しかもアスファルトに舞い落ちた画用紙を追いかける低い姿勢で。
スクーターはブレーキを握りしめ歩道に乗り上げて転倒した。スクーターの自損事故になった。
画板が風であおられて開く、それも横断歩道の真ん中で。そんな偶然あるだろうか?
スクーターがあと2秒早ければ横断歩道を渡り始めた小学生を見てしっかり停止しただろう。 または2秒遅ければ画用紙を追いかけて横断歩道を戻ってきた小学生を認めて止まっただろう。
この話しを聞いて、
「いやいや、法規を厳密に守り、事故の発生を常に予見して運転すれば事故は防げますよ。このスクーターだって、小学生が渡っていくのを見越して左からすり抜けようとしたことが問題。そんな見切り判断で運転するから事故を起こす」、
そう言う方もいるだろう。
まぁ正論に聞こえる。 しかし、クルマの運転には予想や見切りは付きものだ。
実際に30分間クルマを運転してみたら何度も予想や見切りをしているはずだ。自分のクルマの周りで起こること、起こりえることの危険がすべて安全に切り替わる(安全を確認できる)ところまで待ってクルマを動かすことが出来るだろうか。
その運転はひどく緩慢で、かつ後続車の不信と苛立ちを呼ぶ運転をすることになるのではないか。
やはり、事故の半分くらいが偶然なのだと思う。
ほんのコンマ何秒かの違いで死亡事故になったかも知れないし、事故どころかひやりとすることもなかったのかも知れない。
多くはタイミングが左右している。ドライバーのテクニックでもなければ注意力でも予測力でもないと思う。
むかし話をもう少しする。
20年くらい前のこと、顧客に向かう道すがらいつもの幹線道路の赤信号で停止した、と思ったらタタッと足音が聞こえて私のクルマのドアミラーの横を人が駆け抜けていく。そして斜め前のとなり車線に停止している大型トラックのドアによじ上り、ウィンドウ越しになにやら怒鳴り始めた。
一瞬の出来事で事態が飲み込めなかったが、どうやらその男(ワイシャツにネクタイを締めた営業マン風の男)は私の後ろに止まった車両のドライバーらしい。なにやら大きな声で大型トラックのドライバーを怒鳴っている。
大型トラックのドアであるからそれなりの高さによじ登っているのだが、こぶしでウィンドウをたたき、片足で方向指示器のあたりを蹴って、さらにドアを開けろとばかりに身体をゆさぶっている。
おそらく、この道の後ろの方で何かがあったのだと思った。幅寄せか割り込みか。
片側2車線の幹線道路で私鉄の駅前でもあるこのあたりは商店が道の両脇にならび路上駐車も多く、バス停もある。乗用車なら並走してもやりすごせるが大型車は車線をまたがねばならない。
目で見たわけではないが何かがあったのだろう。しかし、大型車のドアの取っ手にしがみつきトラックドライバーを怒鳴りつけているけんまくは尋常ではない。
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