フェラーリのブログ

フェラーリに関わった顛末

「おまえのクルマの値段なんか、知るか! 2」

前回のつづき。

ママチャリをこいで次の信号を目指す。

「どおしてやろうかな。ベントレーのウィンドウに向かって、

「『落とし物ですよ』とばかりにゴミ袋をブラ下げて見せようかな」、

猛然と加速していくベントレーのドライバーが、信号が赤に変わらないのを願っている気がした。

結果、信号は青のまま。ベントレーは信号を通過してゆるい登り坂を遠ざかっていった。わたしは赤信号にひっかかった。

信号が赤にならなくて良かったかも知れない。馬鹿な事をするところだったと思いながら、ゴミと一緒にママチャリサイクリングを続けることになった。

結局、どんな人がベントレーを運転しているのか分からなかった。一方でベントレーのドライバーは、髪はボサボサ、うすらヒゲで汗染みたTシャツを着たわたしをどぉ思ったのだろう。散臭い奴、気持ち悪い奴と思ったに違いない。

 

それから数年後の話し。バブル景気ははじけていてわたしは日々、営業車で走り回っていた。

輸入車がめずらしくなくなったのはいつ頃だろうか。いまベンツもBMWもひっきりなしに走っている。

でもわたしが子供のころは違った。輸入車(当時はもっぱら外車って呼んでました)はお金持ちが乗るもの。医者、社長、あとヤクザの人なんかが乗ると思われていた。

ベンツのSクラスとかキャディラック、リンカーンなんかは日本車が逆らえない威容があった(当時はクラウンもセドリックも1700mm幅だった。それでも充分大きく見えたが)。アメ車のフルサイズカーの大きさは圧倒的で、

「人が寝っころがられるボンネットのクルマ」、

と子供のわたしは勝手にそう名付けていた。

外車っていうのは特別で高価なクルマ。当然、乗っている人も意識していた。

今は車線が合流するとき一台ずつ交互に合流する。こうした場面では感情を交えず淡々と機械的に済ませた方があと腐れがないのだ(この前、中国からの出張者が、「あれを見ると日本人は行儀が良いとおもいますよ」、そう言っていた)。でも、むかしそうではなかった。微妙に前に出ている者、ハンドルを強く切っている者、小刻みに発進させ頭を潜り込ませる意図を示す者、エンジンをわざと吹かす者が、前に割り込んだ。

当然、割り込みも出来た。外車は暗黙の了解で譲られるもの、そうしたルールもあったように思う。

輸入車が多くなってもしばらく昔の感覚は残っていた。

 あれいつ頃だったか、ベントレーの事件(事件にはならなかった)から数年たっていた。わたしは日がな一日、営業車に乗りセールスする仕事をしていた。

Sクラス(W140型と記憶する)がわたしの営業車の前に割り込もうとしてきた。クルマどうしの間隔、速度、角度などから譲る必要はないと思ったのでわたしはそのまま進んだ。視界の片隅でSクラスがブレーキを踏み、わたしの営業車のうしろに入ったのが見えた。

Sクラスがわたしの後ろに入るのが常識的だった。しかしSクラスのドライバーの意識は違ったらしい。Sクラスは更に車線変更してわたしの営業車の横に並んで車体を寄せてきた。