フェラーリのブログ

フェラーリに関わった顛末

「F12で圏央道を走る」

この前、圏央道を東名-常磐道間(海老名JCT〜つくばJCT)を走ってきました。そのお話し。

圏央道。ウィキペディアで調べてみたらその構想は1958年から始まるそうな。わたしが生まれる前。現在の計画は1987年に出来たらしい。

遠からず釜利谷JCTで横浜横須賀道路につながり、木更津JCTで東京アクアラインにつながるという。こうなれば一般道に下りる事なく圏央道を一周できてしまう(圏央道を一周することにあまり意味があるとは思えないですが)。

営業車で走り回っている時、圏央道の一部が出来上がり中央道と関越道がつながった。ずいぶん便利になったものだ、と思ったが今回、ついに関東の主要高速道路(東名、中央、関越、東北、常磐のことです)がつながったわけです。

わたしが免許をとったのは30年以上前。長く運転していて常磐から東名をつながる日が来るとは思っていませんでした。少しずつだけれども物事はちゃんと進歩しておるものだと感慨。若い頃ヤケになって死なずに良かったと思う今日この頃。

(インフラ整備はマスコミ受けが悪いけれどもちゃんとやっていかなければいけませんなぁ)

進歩と言えば自動運転もずいぶん進歩している。将来、年老いたわたしが入院支度をして自動運転のクルマに乗り込む日がくるかも知れない。むかしは自分でクルマを操作したもんだ…、とか言いながら。

そのころ人は自分が乗るクルマになんの興味も持たなくなるのかも知れない。タクシーの性能にこだわる客はいないのと同じように。

「フェラーリ? なんですかそれ? クルマの名前?メーカー?」

「むかしはクルマのメーカーとか車種にこだわったんですか。へ~っ」

そういう日が来るかもしれない。

それはさびしい事か、きっと違う。人はクルマを運転するという行為を失う、クルマにこだわるという意識を失う、代わりに別の何かに意識が向いている。そっちの方がよほど大事で貴重になっている筈だ。

発明とか技術革新とかで人はずっとそれを繰り返してきた。悲しんだり惜しんだりするのはあまり意味が無い。

だって、わたしが子供の頃、自転車は恋焦がれた乗り物だった。でも今はシェアリングの対象になっている。悲しいですか?わたしは別に悲しくない。むしろ便利。

脱線しすぎたついでに昔の高速道路の話し。

免許を取り立ての頃、悪友と、「いっちょ高速でも乗ったるか!」と勢い込んで東名に乗り付けたことがあった。家にあった4速マニュアル、リーフスプリング、バイアスタイヤの1300CCのクルマでありました。シートベルトを締めていた記憶がありません。たしか105キロだか110キロだかを超えるとピンコ〜ン、ピンコ〜ンとチャイムが鳴った(アラームじゃない、ほんとに玩具のような音でした)。凄まじい風の音とロードノイズ。インターチェンジのカーブでのひっくり返るロールとわだちを乗り越えるときの車体のよじれ。クルマが速度を上げて走るという実感はたしかに今より大きかった。

皆さんの高速道路を初めて走った時の思い出は如何に?

高速道路の出来はあまり変わらない。変わったと言えば排水性が良くなったことくらいしか思い浮かばない。でもクルマはまったく変わってしまった。

感慨にふけりながらF12で圏央道を走ってみた。