フェラーリのブログ

フェラーリに関わった顛末

「東名の事故で思い出すこと」

東名高速道路で大きな事故が起きた。

乗用車が中央分離帯を飛び越えてバスに激突する映像は衝撃的だった。

宙を飛んでバスに激突する映像の中、死亡した乗用車のドライバーは何を見ていたのか、何を考えていたのか。いや宙を飛んでいるあの時、すでにエアバックは作動していた筈で、その衝撃と遮られた視界の中で状況を把握することは出来なかったのかも知れない。

 

今から20年以上昔のこと。当時は仕事で毎日、営業車を運転した。

取引先が都内や近郊だけの時は一日150kmくらいで終わる時もあるし、関東圏外まで出て往復500km以上走ることもあった。

その日はまさに往復500kmの道程だった。打合せ資料や物品を積み込んで早出で出発した。車はコロナ(記憶をたどって調べたら1992年 - 1996年型のコロナだった)。会社からあてがわれてからかなり走り込んで愛着が湧いていた。

都内でひとつ納品と打合せを行い高速道路に乗った。その高速道路は当時、盲腸線とも言える路線で交通量は非常にすくなかった。都内から走り県境をまたぐころには前にも後ろにも走る車はなくなった。記憶では昼食をとったあとだったと思う。まだまだ先は長い、あと1時間以上は走らなければならなかった。

居眠り運転をした。

高速道路を90分近く走り続け、前後に車はなく、一定周期のハーシュネスと高いロードノイズに慣らされてボンヤリ運転をしている状態。眠くてしょうがない、このままでは危ない、という手前の状態だった。

おそらくわたしの瞳はほとんど動かず、手もハンドルの下の方にぶら下がっているような状態。もしその時、居眠り検知センサーがあったら検出されているかもしれない。

速度は105km/h前後だったと思う。追い越し車線を走っていた。その場所は緩やかに下っていて、2~300m先からは少し平坦で更にその奥は緩やかに上り坂だった。遥か前方に山が見えてそこからはトンネルがいくつか続いていく。前方は非常に見渡しやすい地点だった。

突然、大きな折畳みのアルミ製はしごが中央車線に転がっているのが見えた。

建築現場で使う屋根に登れる大きなアルミ製はしごだ(走行中のトラック荷台かワゴン車の屋根からすべり落ちたとしか思われないが、壊れもせず中央車線に転がっていた)。

居眠りしていたわたしの視界に入ってきた時は50mくらいの距離になっていた。

わたしはとっさにパニックブレーキを踏んだ。

「あれを踏んだら絶対にまずい」と脳の中で考えていた。

あのはしごの大きさと高さはコロナの地上高では超えられないし、中央車線に斜めに横たわった状態はコロナのトレッドより広かった。踏めば前輪だけでなく後輪もバーストするだろう。フロントエアダムも損傷する。場合によってはラジエータも損傷し、車体下回りの損傷も重大かも知れない。

パニックブレーキと同時にステアリングを左にきった。このステアリング操作はあまりにもはやく、そして舵角は大きかった。

 

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