フェラーリのブログ

フェラーリに関わった顛末

「人はクルマをコントロールできるのか?」

前回のつづき。今回で終わり(のつもり)。

自分の運転で窓ガラスに頭をぶつけた私が得た教訓とは…。

あの瞬間を思い返してみる。

追い越し車線に横たわるアルミはしごを見て(状況も読まずに)、パニックブレーキを踏んだ。その後コンマ何秒か(おそらく0.2秒遅れくらい)で左に急ハンドルを切った。パニックブレーキの踏込み量も急ハンドルの速度と舵角もほとんど無思慮におこなって加減はしていない。

コロナはボンネットに重量物が落下してきたようにドンとノーズダイブした。前輪の荷重が一気に上がったと同時に急ハンドルが入ったから、細くて弱いラジアルタイヤでも強いコーナリングフォースを生んだ。

荷重がかかった前輪に左へのコーナリングフォースが強烈に効いたことで私の首は右に傾き、またコロナも同じく右に急激にロールした。この時、強く頭を右ウィンドウにぶつけている。痛みではなくゴンッという衝撃を側頭部に感じた。

コロナは食い込むようにノーズダイブと右ロールを起こして左旋回している。私の目には左の路肩、緑地、防音壁がフロントウィンド全面に見えるようなイメージが残っている(この記憶は誇張されているかも知れない)。

頭をぶつけた衝撃と同時に、左にハンドルを切りすぎた、と気付いた。とっさに右にハンドルを切った。このハンドル操作の速度と舵角も調整されたものではなかった。とっさに左に切って失敗、あわてて今度は右に切った、というドタバタのステアリング操作だった。

この右へのハンドル操作の時もブレーキは踏み続けていた。パニックブレーキの初期から踏力を緩めた記憶はない。

コロナは深い右ロールから一気に左ロールに変わる。右にハンドルを切ってもロールが遅れていると気付いた。ロールの逆位相ってやつだ。コロナは大波を横から食らった手漕ぎボートのように翻弄されている。

コロナは路肩に飛び出ず前に走行車線側に向きを変えた。走行車線から追い越し車線をすこしまたいだ当りでコロナは落ち着きを取り戻した。ブレーキをかけ続けていたことでコロナの速度は大幅に下がっていた。

ロールが落ち着いた。コロナは何事もなかったように走行車線を走っている。ブレーキをゆるめて惰性で走行車線から路肩にコロナを寄せた。

 

あのアクシデントは一体なんだったのか。

この時間にしてほんの数秒のアクシデントを何度も思い返した。

すでにクルマの免許をとって15年くらい経っていた。年間何万キロも営業車を運転し多くのことを経験していた。

あの時、コロナで暴走するような速度も無理なコーナーリングもしていない。これまでもずっとああいう運転をしてきた。これからも同じように運転をするつもりだ。しかし、あっという間に制御不能になった。

コロナをまったく制御できなかった。コロナのサスペンションがあんな伸び縮みをするとは思わなかったし、頼りないと決めつけていたタイヤがあんなグリップを発揮するとは思わなかった。

自分の乗っているクルマを知らなかった。コロナだけじゃない、それまで乗ってきた多くの営業車や自家用車のことも知らなかった。

ほとんどのドライバーは自分のクルマのサスペンションがどこまで動くのか知らないのではないか。ブレーキが最大でどれほど効くのか知らない、タイヤがどんなグリップを示すのか知らない。多分。 

さきほどあっという間に制御不能になったと書いた。でも前回の通り、そのきっかけは居眠り運転だ。居眠りさえしなければ、あんなアクシデントは起きなかっただろう、そうも言える。

でも居眠りに気をつけてさえいれば大丈夫なのか。