フェラーリのブログ

フェラーリに関わった顛末

「街で見かけたF12 その2」

F12のよこを通り過ぎる女子高生やサラリーマンはF12に気をとめているのだろうか。

わたしならば低くうなるエンジン音とむせ返るような車体下からの熱気、そのマッシブなボディデザインに気が向かわないわけにはいかないのだが。

F12はそれほど極端なデザインではないが、なんと言うかクルマの内側から膨張してくるようなイメージがある。大排気量、大出力がクルマの中から炸裂して出そうになる感じ。911の引き締まって見えるイメージとは明らかに異なる(もっともフェラーリの12気筒と911では気筒数も排気量も倍ちがうけれども)。

F12に乗り続けてひとつ気付いたことがある。それはF12が大型高級スポーツカーだということだ。大型というところが実は肝でエンジン、車体の大きさがF12の性格を決定づけている。

道幅に占める大きさなど911とちがう。重く鈍いということではないが大きな車体で走っていることを常に感じさせる。ゆえにF12はスポーツカーというよりGTカーなのではないか、そう思うのだが、軽いステアリングとクイックさがドライバーのそうした感覚を壊して、ある種の違和感を抱かせる。相反する要素が混在して常にあっちへこっちへドライバーの感覚を揺らす。これを二面性と言うか正体不明と言うかは人それぞれと思うが、わたしは違和感の方を強く感じる。

 

F12は低層マンションの地下駐車場に入っていった。初めてF12の側面が見えた。小さな方向指示器の何気なくデザインがカッコイイなぁと思う。数秒後、ブァン!という爆音がプリウスの左ウィンドウを通して地下駐車場の中から聞こえてきた。その爆音はリバースに入れる前の空ぶかしか、渋滞に巻き込まれた後の鬱憤ばらしか。やっぱりF12は騒々しいクルマなのだ。 

混雑した路地裏を路上駐車と歩行者の間をぬって進むF12は快適ではない。DCTの1速発進と2速ギアの行き来はスムーズとは言えない。特に停止からアクセルを踏込んでクラッチがつながるところまでのあやふやな領域(路面の起伏によって車両が前後する)はDCTの欠点だ。

やっぱりF12は強烈な加速や減速、コーナーリングをすることで良さを実感できる。ただそれは日本の道路では危険でもあるし交通違反を伴う。このあたりは何度も書いているから繰り返さないけれども、F12の良さを実感するのはこうしたシチュエーションばかりなのが悲しい。

いや、ひとつ。

フェラーリを運転していて人から見られることは多い。ガソリンスタンドでも話しかけられるし、都内で信号に停まっていたら写真を撮られたことも何度もある。他人から見られることで、フェラーリに乗っているんだ、と実感することも多い。

フェラーリはそういう楽しみはあると思う。YouTubeを見ても洋の東西を問わずフェラーリやランボルギーニを人混みで空ぶかししている動画が多数アップされている。そうすることで、フェラーリ(ランボルギーニ)に乗っていることを楽しむ人もいるのだ。

でも、どおもそういうのが苦手だ。

 

少し前から迷っていたのだが、決めた。F12を手放そうと思う。