フェラーリのブログ

フェラーリに関わった顛末

「クルマは雰囲気をはしる」

前回、レベル2の自動運転について書いた。そのつづき。

街をふつうに歩いている時、人は前から歩いてくる人にぶつからない。ラッシュアワーの駅構内であれば別だが、前から歩いてくる人の動きを凝視しなくてもぶつからない。

不思議なことに相手の目を見て、相手もこちらの目を見て歩いて来る時こそぶつかる。目と目で見つめ合うとそこにばかり注意が行きそのほかの情報が遮断されてしまうのだろう。

見ない方が良いのだ。目で見ずに雰囲気で感じる。その方が多くの状況(雰囲気)を感じられる。多分そうだ。

車の運転が下手な人がいる。いつまでたっても上手くならない人がいる。下手な人は大抵、この雰囲気を掴んでいない。

クルマの運転には第六感が必要なのだ。いや、必要は言い過ぎだ。あった方が好ましい。

第六感と言うと、不思議な力、予知のように思われるかもしれないが、第六感とは確実に雰囲気を感じ取る力、そしてその中から「なにかが違う」とアラートをあげる力と言っていい。

ドライバーは走行中の多様な状況を一つひとつ分解して理解しない。雰囲気として漠然と捉える。この雰囲気を捉える量が少なくなるほどクルマの運転はスムーズさを欠き、そして危険になっていく。

この雰囲気中(ふんいき中)とは、前を走っているクルマの速度と加減速の度合い、車間距離、自車の中心とのズレ幅、走り方、車種、年式、ナンバーの地域、乗員の数だったり、対向車の有無や速度、車種、距離、動き方だったり、走っている道路の幅や制限速度、歩道の幅と段差、歩行者、自転車の有無と数だったりする。そして道に関わる駅、バス停、踏切、駐車場、飲食店だったり、天候や時間帯だったりする。

ドライバーはそれらすべてを見ながら(雰囲気として感じながら)走っている。

この雰囲気の中にあるもの、動いているものから数秒後の予測を立て、クルマを操作する。まったくの死角から突然現れることは確率的に低い。多くのものは雰囲気の中に存在し、すでに動いているのだ。

例えば、朝の一般道。交差点に差し掛かる手前で前を行くクルマが減速している。そのクルマが左折(右折)するつもりで減速しているのか、先が詰まっていて減速しているのか、大抵はわかる。ターニングランプが点滅していなくても大抵わかる。

交差点の右折レーン。前のクルマは右折ではなくUターンした。ほとんどのドライバーがUターンを予想できる。右折の半径に比べて大きく舵角を切っていたり、回頭の動き出しが急激だったり、右折レーンの中でクルマを左に寄せていたりするからUターンを予想できる。

前を走るクルマが道に迷っているのがわかるし、携帯電話で話し込んでいるのもわかる。