フェラーリのブログ

フェラーリに関わった顛末

「クルマは雰囲気をはしる 2」

前回のつづき。雰囲気を感じながら走る、について。

運転していると前を走るドライバーが何を考えているのか分かったり、数秒後に何が起きるか予想できたりする。このブログを読んでいる人も大抵そうだと思う。「わからない」、そう思った方も明日、クルマを運転してみると自分がかなりのことを事前に察知して運転していることに気づくはずだ。

前々回、レベル2の自動運転を使っていると書いたけれどこの自動運転、そうした予想などということはできない。すべて発生してから反応する。

例えば、前を走る車が交差点を左折しようとしている。減速して方向指示時を左に点滅させ、すこし車体を左側に寄せながらハンドルを切り始めたところで停止する。歩行者が渡っているから停まったのだ。私のクルマはその前走車の停止を検知して停まった。前走車が左折してセンサーの範囲から出ていかなければ発進しない。歩行者が少なくて前走車がすぐ左折すれば発進する。歩行者が途切れなければずっと停止したままだ。

ここで考える。歩行者が少なくてすぐ渡りきり前走車が発進すると思えば停止しておくに異存はない、しかし次から次へと歩行者が渡り前走車がいつもまでも発進できなければ、このまま停止を続けるのか。後続車は続いている。車の流れは滞るだろう。

自動運転でなければ、歩行者が多いと認めた時点で前走車の右に出て交差点中央よりに動く、対向車が来ないか、来るとしても間があるか、大型車でないか、脅威を与えないか、を確認してから泳ぐように前走車を抜いていく。クルマの流れをよくするためにはそうした方が良い。かの徳大寺有恒氏の一文にもこうしたくだりがあった、「上手いドライバーとは、周囲のクルマをスムーズに走らせるドライバーのことだ」と。

前走車はいつまでも途切れない歩行者を前に停止したままだ。

すでに再発進の時間制限は過ぎている。前走車がセンサー外に出て行ってもわたしのクルマは停止したまま。発進するためにはもう一度自動運転モードのスイッチを入れなければならない。設定時間が長くなれば良いという問題ではない。

ようは現在の自車に搭載されたセンサリングだけでは自動運転はひどくギクシャクして融通のきかないものになるということだ。それこそ車のなかで周りなど気にかけずテレワークしたり、映像を見たりしてすごさなければ、その滞ったクルマの流れにフラストレーションが溜まるばかりのような気がする。

路車間通信で車に関わる動きをする歩行者、自転車の動きやその数を車に発信し、車車間通信で前(だけでなく周囲の車)のセンサリングの情報をやりとりするくらいでなければ、日本の一般道のレベル5の自動運転は不可能なのではないかと思う。

 

ん…。「スムーズといえないタクシードライバーに当たっても文句も言わず黙って乗っているだろう」、って? 

たしかに…そうだ。

将来、自動運転車に乗りこむ人間はスムーズに走らないクルマに不満を抱かない。そんなことに感情を左右される野蛮さに気づいて、気持ちを別のことに振り向けるのかも知れない。