フェラーリのブログ

フェラーリに関わった顛末

「クルマのなかでの過ごし方 2」

前回、若かりしころ夏の雨の中、伊豆を走った時のクルマと音楽と風景の記憶を書いた。

当時はカーナビなんてものはなく。クルマの中に地図をおいておくのが普通だった。

当時のドライブは適当に走り回った。地図はクルマの中においてあったがほとんど見ない。見るのももどかしく走り続ける。そもそも目的地を定めて走り出さない。なんとなく西に行こうか、東に行こうか、くらいしか決めていない。だから地図を見ずに行き当たりばったり、道路の看板を見てあっちに行ってみよう、こっちに行ってみようと走る。観光する気もなく、走ったことのない道を走れればそれでいい。それだけで充分たのしい。

関東であればおおよそどこに向かっているかわかる。道路の看板に聞いたことがある地名が出てくると面白くなってそこまで走る。伊東ってここか、伊豆高原ってここか、修善寺ってこんなところにあるのか、天城峠はこんなところにあったのか。

無計画も甚だしいし泊まるほどのお金もないから、引き返せる時間まで走って、減った分のガソリンを補給して帰路につく。来た道を辿って帰る。同じ道でも走る方向が違えば見える風景も変わる。そしてなにより今日走った道の記憶がしっかり残る。でも来る途中、気になっていた場所や道路があればそっちにずれる。まったくいい加減なドライブだ。

そうやって一日の運転が終われば、家に帰って走った道を地図でたどる。

そこでまた発見がある。少し脇道にそれればすぐ横は海だったとか、湖の横を通り過ぎていたとか、有名な観光地がすぐ横にあったとか。で次のドライブでそこまで行ってみる。発見したり悔やんだりの目くらドライブ。

 

近頃は乗り心地が良いとか悪いとか、音がうるさいとかなんとか、文句と愚痴が多くなった。歳をとったせいではないかと反省したり落ち込んだりしている。

今度、関東を遠くはなれてカーナビの画面を消して昔のように走ってみようか。そうしたらそんな愚痴も文句も出ずにワクワクしながら走れるのかもしれない、と思ったりする。