「クルマの広告の記憶 その2」
前回のつづき。クルマの広告について。
まずは前回、触れたコロナクーペ。
マツダの広告の近くに掲載されたトヨタコロナクーペの広告の写真が変なのだ。
えらくフロントノーズが長く見える。フロントオーバーハングが異様に長い。
当時はあまり気づかなかったがこのディフォルメは強烈である。
考えてみれば昔の日本車のデザインは欧米車の縮小コピーばかり、当時は気づかなかったが今、見ると恥ずかしいくらいパクリなのだ。昨今メディアで中国車のパクリを揶揄しているけれども日本だって同じだったのだ(今でも褒められたもんじゃないと思いますが)
前回、映画007のロジャー・ムーアがピストル(当然、ワルサーPPKだろう)を構えている、と書いたが違った。ピストルは構えていなかった。
このころの007のボンドカーはロータスエスプリだった。タキシード姿のロジャー・ムーアならばイメージは当然、007のジェームズ・ボンドであるから広告を見る人はコロナクーペとロータスエスプリのイメージが重なった。トヨタとしては「コロナクーペはボンドカーに匹敵するカッコよさだ」と言うことなのだろう。
たしかにこのコロナクーペ、フェアレディやセリカと言ったスポーツカー然としたスタイルではなくボクシーで落ち着いた大人のスポーティーカーとして当時、カッコ良く見えた。
もう一つ。日産フェアレディZ Tバールーフ(S130型)の広告。暗い背景にシルバーとブラック(メタリック?)のツートン塗装が映える。アルミホイールの径が小さい。このころのホイール径は12〜14インチばかりだったと思う。195mmより広く、扁平率70%以下のタイヤはメーカー標準では装着されていなかったと記憶している。
フェアレディはくだんのヘッドライトに透明カバーが取り付けられたタイプがあって、それはそれはカッコ良かった。
右肩の「世界に愛される 先進技術の日産」のマークが懐かしい。
トヨタは宣伝とディーラー網で売る、日産は技術で売る、漠然とそんなイメージを持たれていたと思う。わたしが子供のころ松下電器は「真似下電器」と揶揄され、モーターがついている洗濯機や掃除機、冷蔵庫は松下ではなく三菱か日立か東芝を買え、と言われていた。トヨタと日産もそれに似た文脈だったと思う。今から40年以上前の話し…。
日産がやがて経営危機となりとルノー傘下になるとは予想もしなかった
輸入車の広告は変なのが多い。当時はそんな風に思わなかった。このころの輸入車は正式輸入商社(輸入総代理店)か並行輸入の時代だった。
円高になって直接、自動車メーカーの日本法人が販売するようになる前は、輸入代理店の広告も宣材は自前で準備していた所があるようで、写真がピンぼけの引き伸ばし写真のようなものもあった。並行輸入店の写真はさらにひどくストロボで白とびしている写真もたくさんあった。
キャッチコピーもあまり洗練されてない。いかにも素人の広告主がつけたような感じが多い。曰く、
「この走りが、このフォルムが、躍動へ駆り立てる」フィアットX1/9
「頂点に位置する者の比較は難しい」メルセデスベンツ・BMWの並行輸入商社
「憧れの標的に、熱く迫れメ」ルセデスベンツ・BMWの並行輸入商社
「それは、青春の目標でもあった」メルセデスベンツ
「血統がEXECUTIVE EXPRESSと呼ばせる」ジャガー
「その走りは、まさにフランスの芸術」ルノー
「この風格、この気品、まさに時代の最高峰」リンカーン
う〜ん、やっぱり輸入車は憧れの対象、というのがはっきりわかる。
当時の自動車少年であったわたしはこうした広告と写真を食い入るように見ていたのだ。