フェラーリのブログ

フェラーリに関わった顛末

「デザインで記憶に残っているクルマ その3」

二回にわたってデザインで記憶に残っているクルマのことを書いてきた。今回は日本車ではなく海外の車について書く。前回まで話しはわたしがある程度車に詳しくなってからのことで、いわゆる自動車デザインとして評価できる車種を書いた。今回はそういう視点ではなく、より子供の頃の記憶に刻まれたカッコいいクルマについて書いてみる。

デザイン的な視点はなくて、小学生の子供が本で見た印象が全てだった。当時はスーパーカーブームの前で海外の車を目にする機会はほとんどなかった。Googleで検索すれば画像も動画もスペックも一瞬で調べられる今では考えられない情報の少なさだった。

小学生の頃のわたしは様々な理由で学校の行事に参加できなかった。遠足や社会見学の日にわたし一人りが登校してもしょうがない、学校はその日の不登校を認めてくれた。そうした日、母は朝仕事に向かう道すがらわたしを駅前の書店に連れて行ってくれる。遠足に行けない我が子にクルマの本を買い与えて慰めようとしてくれるのだ。

シャッターを開けて間もない誰もいない書店でクルマの本を選んで、母と別れて駅に急ぐ大人の流れに抗して家に帰る。自分だけ学校に行かなくて良い少しの後ろめたさと新しいクルマの本を開ける期待感が入り混じったあの時の感覚はよく覚えている。

小学生の頃のわたしの車の知識の多くがこうした機会に得たものだ。

 

その頃すでに自動車雑誌は出ていたはずだが、母はそうした書棚に連れていってくれなかった。母

はクルマに詳しくなかったから自動車雑誌の存在を知らなかったのかもしれない。いや知っていたとしても習っている漢字も少なく読めないと判断していたのかもしれない。

だから車の本は知育的な本から選ぶことになった。「せかいの自動車」、「世界の名車」、そんなタイトルの本ばかりだったと思う。

そうした本は取り上げる車もアトランダム、国別でもなくメーカー別でもなく、ジャンル別でもなかった。今思えばどんな基準で車種を選んでいたか不思議だ。おそらく本の作り手も車に詳しくなかったような気がする。写真も冒頭の数ページだけカラーであとは白黒写真だった。それもメーカーのカタログから抜粋してきたようなものもあれば、自動車ショーの展示写真、街中のスナップ写真のようなものも混在していた。写真の横に数行の解説文がそえられている。スペック表などはなく解説文中に排気量や馬力や最高速度が書かれていたりする。

そうした本の一冊にランボルギーニ カウンタックが掲載されていた。エアインテークがない初期開発型だと記憶する。粒子の荒い白黒写真でカウンタックを斜め前から撮影している。路面が砂利道らしく白くとんでいる。だからカウンタックの形がよく分からない。およそ自動車らしくない形状の黒いくさび型のカウンタックにさしたる関心は湧かなかった。これがサイドビューを撮った写真だったらカウンタックは何を置いても私の印象に強く焼きついたはずだ。

この本を読み込んでしばらくした後、スーパーカーブームが始まりカウンタックの写真が雑誌やポスターにのるようになって、「そういえばこのクルマは本に出ていた」と思い出した。くだんのそれほど魅力的に見えない白黒写真の車がこんなスゴいデザインだったのか、と子供ながら不明を恥じた。