「時速5km/h のF12」
F12はゆっくりと回頭している。長いフロントノーズは見えない。F12のDTCは擬似クリープがない。やっぱり日常運転ではクリープがあったほうが良いと思う。
ゆっくりとクルマを動かすのはおもしろい。
窓を開けて歩くような速度でクルマを走らせるといろいろな音や感触が伝わってくる。しなしなとタイヤが路面を踏みしめる音とプツプツと小石を踏みしめる音、ステアリングを切るときのタイヤの断面が変形する感覚。ラジエターファンの音、パワーステアリングの音。片輪が起伏に乗り上げた時のシャーシが歪む感覚。エアコンのコンプレッサーの音、ブレーキシューが引きずられる音。走り出してしまうとかき消されてしまうそれら音や振動を感じる事ができる。
フルロックで回頭しているので、F12の車体下の熱気が横に出て車内に入ってきて耳のあたりをあたためる。
子どもの時分、夕暮れどきに空き地で遊んでいると近所の酒屋の三輪トラックが配達を終えて砂利びき駐車場に帰ってくる。運転手が去った後、三輪トラックの荷台のアオリにぶら下がりながら、車体やエンジンを冷えていくのを観察するのが好きだった。
エンジンや排気管が熱いのは理解できたがタイヤやホイールが熱いのは発見だった。冬でもタイヤやホイールはすこし暖かい。 車体の下の泥跳ねやオイルのシミを見るとこの三輪トラックがどこを走ってきたのか想像する。この泥はねはまだ湿っているからきっとあのあぜ道の水たまりをはしったのだろう、ずっとオイル染みが乾かないのは毎日少しずつ染み出ているからか、それともオイルは水みたいにすぐ蒸発しないのか、そんなを考えているうちに三輪トラックが冷たくなっていく。
母がいつか言っていた、
「こどもの頃はミニカーを与えると一時間以上、だまったままじっとながめまわす。ミニカーをテーブルの端に置いて下から見上げたり、引き戸の溝に置いたり、家具と家具のすき間に置いたりして、じっと見つめて動かない。男の子はみんなクルマが好きだけど、この子はちょっと度を超している。すこし変かもしれない」、
そう思ったらしい。
むかしわたしの家にはクルマが無かったから、子どものわたしにとってクルマは乗るものではなく観察するものだった。三輪トラックもミニカーも同じ。見てさわって想像する。
F12は歩くような速度が動いているが猛烈な熱を発している。
時速300キロを超える速度を出せるこのクルマが歩く人より遅い速度で右に左に旋回し駐車場の中をはいずり回っている。F12も極太のミシュランもいい迷惑だろう。短距離ランナーがほふく前進をやらされている気分か、競馬馬が荷車を引かされている気分かもしれない。フェラーリの技術者は、「そこに価値はありませんよ」、と言うのではないか。
陽が傾いて時より冷たい風が開け放ったサイドウィンドウの右から左に通り過ぎていく。 今日はこれくらいにしてF12をガレージに戻そうと思う。
F12のオーナーズマニュアル(いわゆる取説)の内表紙 リファレンスガイドは多色刷りだがオーナーズマニュアルは白黒印刷