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フェラーリのブログ

フェラーリに関わった顛末

「営業車で走った50万キロの経験は」

営業車で走っていると好きな町、好きな道路というのができる。別に観光名所でもなんでもないのだが、道路の形や商店の並び、道から見える風景が妙に好きになったりする。

あの得意先に行くなら少し遠回りでもあの道を走って行きたい。そんな気持ちになる道や町ができる。反対に走りたくない町と道路もできる。

夜遅く、海岸地帯の化学プラントのナトリウム灯がオレンジ色に光る道を営業車で走る。窓を開けると甘くさい化成品の熱せられる匂いがする。四車線で1分間に一度、大型トレーラーやタンクローリーが走る道ばたに営業車を停めて自販機で通常より10円安いジュースを買う。製鉄所や発電所、製油所、焼却施設。夜になると一斉に煙が出てくる。昼間の何倍もの煙がでる。

不思議な事にこの道がきらいではなかった。学生の時、この工場地帯の道路が好きで夜、走りにきていた場所だ。卒業後、仕事でここを通るとは思ってもいなかった。学生の時に考えていた仕事とはまったく違う仕事をしていた。

そんな殺伐とした工業地帯を走っていたかと思えば翌日は、田植えが終わったばかりのあぜ道に営業車を停めて富士山を眺めながら弁当を食べていたりする。得意先の午後の仕事が始まるまで時間調整するのだ。窓を開けてエンジンを切る。とたんに静かになり、田んぼを吹いてくる風がびゅーびゅーと車内を通り過ぎる。向こうの道路を走るクルマのロードノイズが聞こえる。田植えされた稲のそよぎと水面のさざ波がシンクロするのを眺める。

「去年もここで同じような風景を見たな」、

と思った。ずいぶん長く仕事を続けている。

地下鉄サリン事件も営業車から目撃したし、阪神淡路大震災の状況もずっとラジオで聞いていた。巨人の槙原投手の完全試合も営業車のラジオで聞いた。長野五輪のスキージャンプ団体決勝の金メダル獲得も営業車のラジオで聞いた。

 

 

営業車に乗っていなければ左足ブレーキは習得しなかっただろうし、パニックブレーキも経験しなかっただろう(このあたりは2015年8月20日、2015年10月30日に書いた)。

営業車で何万キロも運転しなければ、クルマの運転に興味もわかなかったと思う。運転のおもしろさ、動くクルマのおもしろさも理解できなかったと思う。わたしの家族は典型的サンデードライバーでクルマのおもしろさなどまったく理解できない者達だ。クルマに接する時間があまりにも短く、狭いから、おもしろさを経験する機会がないのだ。

タクシーのドライバーが、

「クルマなんなきらいだね。仕事でしょうがなく乗ってるんだ。仕事以外では見たくもないよ」、

そう言っている人がいた。 わたしは違う。どんなに長く仕事で運転していても、一晩あければクルマに乗るのは嫌ではない。いやむしろクルマを運転することは楽しいと思う。

営業車の運転で経験した事、営業車の中から見た事、営業車の中で考えた事、わたしの人生のとても重要なことが1.0〜1.8リッターの粗末な営業車の中で起きていた。

あのお粗末な営業車たちとF12はつながっているのだと思う。

長々と昔話をしてしまったので、次はまたF12に話しを戻します。