フェラーリのブログ

フェラーリに関わった顛末

「スポーツカーに大事なもの」

ここのところしつこくクルマの車重の話しをしております。クルマの面白さは車重という重い物が動くのを感じること。あとタイヤが路面を踏みしめる感じとか、ブレーキパットが擦れる感じとか、そういう動くことを感じるのが面白いんだと、年寄りの繰り言のようにつづけております。

大昔、ハイエースで御殿場から湯河原を走ったことがある。仕事で積んだ荷物は500kg。普段ここまで積み込むことは少ない。予定なら高速道路で一直線に帰社するところだったが急遽、湯河原に寄る用事が出来た。御殿場ICで東名高速から下り岸邸前を通り乙女道路から芦ノ湖、椿ラインで湯河原に向かった。

乱暴につんだダンボールが後ろで動く。ダンボールの崩れとブレーキ、タイヤの状態をおもんぱかり(いま流行りの言葉で言えば、ブレーキとタイヤの状態を忖度”ソンタク”する)、アクセル、ブレーキ、ハンドル操作する。時間にして1時間ちょっとの道程だったがまったくもって面白い運転だった。所要を済ませて日が暮れる紺色の相模湾を横目に見ながら帰社した。

 

車重とスポーツカーについて言えば、(あくまで私見だけれども)重量の軽重に関わらず、重心が低いことが重要だと思っている。

と言うか、重心が低ければもうスポーツカーだと言っていい。逆に言えば重心が高いスポーツカーはおかしい。馬力があるなしも関係ない。低重心、これ一本。実はフェラーリF12は意外なほど重心の低さを感じなかった。

スポーツセダン、重心が高いのにサスペンションであれこれ調整して(いろんなデバイス組み込んで)ロールしないとか踏ん張るとか不自然なのが多い。勝手な思い込みかもしれないがスポーツセダンはタイヤ頼み、という印象も持っている。最近のハイグリップタイヤ、寿命は8000kmというところか。実際にはタイヤのアウトサイド側の減りによっては7000kmというところ。タイヤをすり減らして曲がっている。それにもう一つスポーツセダンは経年劣化が早いと思っている。スポーツセダンは時を経てきたら、「お前も昔はすごかったよな」と老齢の馬をいたわるが如くあまり飛ばさずに走らせるのが良い。

スポーツカーの重心が低いというのは経年劣化と関わりがない。重心が低いというのは良いことなのだ。

 

そうだ経年劣化について、クルマは新車で買ってから相当の期間と距離を走る。新車で受け取った営業車が5000km、1万キロ、4万キロと走っていく。毎日乗っていると気付きにくいものだけれども、ある時クルマが衰えてきたのがわかる。

新車のときはシャキシャキ、まさにワインディングロードをかき分けかき分け走る。まさに、

♪ 小石けとばし、砂まき上げて、宙翔ぶごとく駆けてゆく〜(三波春夫『決闘高田の馬場』)

なのだが、やがてオイルを替え、エアフィルターを替え、タイヤを替えるうちに、もぉお前も若くはないなぁ、と気付く。エンジンをかけたままドアを開けた時、色んなところが少し緩んでカタカタ、ビリビリしている音を聞いてさびしくなる。

「お前も歳とったなぁ。すこしおとなしく走るか」と思う。でも時として急ぎの納品がある、青筋たてた客が待っている。そういう時は老馬よ頼む音を上げないでくれ、とスピードを上げる。

クルマと人の関係は時を経て変化する。そこまで時間を共にすると性能なんかは関係ない。事故起こして別れるのは悲しいから安全運転するか、と思い始めたらそれはもうクルマは車でなくなったことになる。