フェラーリのブログ

フェラーリに関わった顛末

「自動運転 狂想曲」

このあいだ定年間近のベテラン自動車技術者の人と話した。かれは電気技術者として自動車会社に就職した。

「わたしが入社した時は大学の同期に言われたもんだよ。『なんで好き好んで自動車会社に行くんだ』って。それはね当時、電気を学んでいる学生は普通、電機メーカーとか通信機メーカーに行くのが普通。それをなぜ好き好んで自動車会社に行くのかってね。 実をいうと家電メーカーの採用に落ちたのよ。実はその会社、いま経営危機になっているところね。

で、しかたなく自動車会社に勤めた。入社したら、いやぁ傍流だったね。やっぱり自動車メーカーにとって電気なんて技術は隅っこの存在。自動車会社の技術の本流はエンジンとシャーシ。電気というか電装品は「補機」って言われてた。補機の対語はなに?って、「主機」ね。主機はエンジンのこと。主機に対しての補機。添え物ね。

補機の仕事させられてる私らの部署は、主機の人たちから言われた、『頑張らないと外部メーカーに出されちゃうぞ』、ようはミラーやバンパーやタイヤと同じように外部メーカーに出されちゃうぞ、と。

幸いクルマはどんどんエレクトロニクス化されて仕事は増えこそすれ減ることは一度もなかった。

今や車内で電機技術っていったらメインストリームだもの。隔世の感があるよね。

いま学生も電機メーカーより自動車メーカーに入ってきてくれる。むかし電気学生の落ちこぼれが入った自動車会社に今は率先して入ってきてくれる。ありがたい。

 

これからどうなるかって? 

おれ自動運転はまったく関わってなかったから。(この方はハイブリッドシステムの開発にたすさわってた技術者)自動運転は時期はわからないけどその完成させていくでしょ。ただバイク、自転車、歩行者が入り乱れて走るところはまだまだだと思う。でも技術の進歩は早い10年後はかなりいけてるだろう。

ただ今は、自動車会社より外部が騒ぎ過ぎ。狂想曲っぽい状態。開発予算も自動運転に偏りすぎていると思う。揺り戻しはあると思うけど。

自動運転が進めば、自動車の個人所有の需要は確実に減る。若者のクルマばなれなんてもんじゃない。場合によってはほとんどの人が自家所有をやめるかも知れない。

なんでって? 自動で走ってくれるクルマに税金払って、メンテ代払って、車庫を確保して維持するかな? 自動運転とタクシー(ハイヤー)、シェアリングは同時に進むんじゃない?

自分で操作しないクルマの性能にこだわるかい? 君(わたしのこと)、タクシーに乗って性能がいいとか気になる? 加速が、とか。安定性が、とか。実は乗り心地さえも実は気にならないじゃない? 実は乗り心地を気にするのはドライバーであって助手席に座る人の感受レベルは何分の一、っていうのが普通。自動運転になったらパワーとかコーナリングなんか関係ないじゃない。

デザインの善し悪しも気にならない。自分で所有してないんだから。自分が選んで買うものはデザインの善し悪しは自分のセンス、嗜好を反映したものだろうと思われる。でも所有からはなれたとたんにそれはあずかり知らぬ話し。

自家所有を離れた自動運転のクルマでどう収益をあげていくか。自動車メーカーは自動運転車の運行サービスで収益を上げていくって言ってる。自動運転車の配車・運行で収益あげるとかね。シェアリング運営とか、パーキング運営。物流サービス。車両への通信やらエンタメやら広告やらのサービスで課金するとか」

 

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