「フォルクスワーゲンの不正 2」
前回、企業経営者は、
「利益の多くは奪い合いで得るもの」、
だと思っている、と書いた。
一方で企業経営者は不正、脱法を行って利益を得ようする者はいない。(少なくとも日本や欧米企業の経営者はそうだろう)
VWの経営陣も不正、脱法行為を指示しなかった筈だ。
不正が露見すれば企業は存亡の危機にさらされる。 経営者は不正や脱法行為を指示しない。しかし、
「少ない投資で効率のいい技術開発をしろ」
「他社に遅れるな、先行するのだ」
「既存技術にないいい方法はないのか? 出し抜くんだ」、
と命令はしただろう。
「人と、地球の、明日のために」、
というのは東芝グループのスローガンだ。その、
「人と地球の明日のための東芝」、
が不正会計を行った。
歴代経営者3人がその原因になったと報道されている。でもこの3人は不正会計をしてでも利益を増やせと言ったのだろうか。裁判で明らかになるかも知れないが(いや裁判をやったからといって真実が明らかになるとは限らないが)、この3人は、 「不正会計をしても良いから」、 とは言っていないのではないか。
人はすべての意思を言葉や文書にするか、しない。日本人だって、欧米人だって、中国人だってしない(程度の差はあるだろうが)。
言葉にならない、文書に残らない意思疎通がある。人はロボットのように明確なプログラムがなくても考え、感じるのだ。
今回フォルクスワーゲンは不正なソフトで排ガステストをクリアしたと言われている。 でも技術者は最初から不正と思っていたのだろうか、おそらく試験をクリアする「解」の一つだと思ったのではないか。
技術開発の過程で技術者はさまざまなアイデアを出すし、微に入り細に入り突き詰める。その過程で抜け道を発見したり、不正の糸口を見つけたりする。 これは犯罪を犯してやろうという思考から発するものではなく探求の過程での発見だ。
クルマには排ガス規制に限らず様々な規制や基準がありそれをクリアして製造されている。 しかし、その規制や基準は必ず現実的に役に立つものか疑問だ。
現在の交通事情や習慣、ドライバーの能力に対して有用なものか。形骸化したむかしの基準を怠惰で改訂しないだけではないか、そう思える規制や基準が多い。
クルマの技術者に限らず多くの分野の技術者が似たような思いをしている。
技術者が思い通りの設計が出来ていると思ったら大間違いだ。
技術者の多くが意味がない基準や指標を押し付けられていると思っているし、くだらない広告宣伝やマーケティングに振り回されている考えるし、消費者運動の活動家に言いがかりを付けられていると思っている。
今回フォルクスワーゲンが排ガステストを不正にクリアするソフトウェアを組み込んだ経緯はそうした技術者を取り巻く状況と、苛烈な競争と利益を追求する(しなければならない)経営者の間で「発生した」ものだと思う。